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脇見恐怖症のサイト

投稿者:隆志
更新日:2014/08/13 6:52
不幸比べ
カテゴリ:脇民日記
人は何かと人と比べたがります。

あの人は治るべくして治ったけど、私には無理とか。
弟はあんなに頑張っているのに、あなたはどうだとか。

そして一番意味のないもののひとつに不幸を比べるという人がいます。

私はあの人より不幸だ。
私はこんなに不幸だ。
かくいう私もそういう気がなかったわけではありません。

でもこれは危険な思考です。

その先にはあの人より不幸だから、動けない、治らない、今のままでいいと思いがちだからです。
勿論本当に動けない人もいれば、表面上は今のままでいいはずがないと思っている人もいるでしょう。

何度も書きますが、出来ない理由を探し、作り出しているのです。

極論になりますが、死に直面している人が考えるようなことでしょうか?
死に直面している人は必死です。

生きるということに純粋でまっすぐにそれだけを望むのだと思います。
そこまで追い詰めろということをいいたいのではないのです。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶということです。

私は愚者ですから体験してみないと分からない性質ですが、本を読んだりテレビを見たりでもいい。
情報を取捨選択し、自分の有益なものから何かを学び取る。

そういう心構えが必要なのだと思います。
自分が望めば世界が変わる。

私たちは考えることが出来る。

私の文章のことではないですが、良い意見が沢山寄せられています。
感謝しています。

その文章には、同じ状況下に置かれた私たちにとって何かしらのヒント、もしくは答えがあるはずです。
それを流さないで考えてみること。
決して頭でっかちになるのではなく、クリアな心理で言わんとすることを反芻する。

歪曲しなければ分かった気になるだけでも第一歩だと思います。
それを積み重ね、自分にとって本当に良いことを刷り込むのです。

大げさかもしれませんが、脇民にとってのパラダイムシフトがもたらされることを信じて。
コメント:
[1]みき
更新日:2014/08/14 0:08
不幸自慢のような所、私もあったかと思います(>_<)
嫌われる勇気にも書いてあったと思いますが、不幸という点において
「安直な優越性の追求」をしていたのかな・・・と。
カウンセリングでも出てきたんですが、「特別」になりたいという思いがやはりあって、脇見というあまり人に知られていない病院の先生も知らないような『特別』な病気、を選んだのかもしれません。
もちろん、無意識下のことだと思いますが。
私は吃音症もあるんですが、吃音もあまり人に知られておらず、そういう意味ではやっぱり特別なんですよね。
『普通になることの勇気』が私には必要だし、もう十分特別なんだから、もう脇見や吃音を使わなくてもいい、ということを
カウンセラーさんから教えていただきました。

長々とすみません。
ちゃんとしたご挨拶もしていませんでしたが、こちらのサイトにお邪魔させていただいて、
こうしてお仲間さんが頑張っている姿を知ることができて
あぁ1人じゃないんだ、ととても励まされております!!
サイトの作成・運営、本当にありがとうございます♪(*^0^*)
脇民のみんなで幸せを感じていきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
[2]隆志
更新日:2014/08/14 6:33
嫌われる勇気、読まれていたのですね!

私は自分のこころに素直に向かい合うことが今まで出来てなかったのだと、自ら文章を書き、そして皆さんの文章を読むことで思いました。

「特別」であること。

良い意味で特別であればいいのですが、周りから見れば世界の一員でしかないことは想像できます。
そう考えることで、特別ではないけれども皆と同じ、同等なんだと思うことが出来ます。

「普通になることの勇気」
それは主観的考え方をもつと難しくなってしまうと思うので、出来るだけ客観的に考えられればなしえることだと思っています。
自分に降りかかる不幸を客観視するのは難しいことではありますが、大局を見る努力をしようと思います。

仲間がいるというだけで、その存在に勇気を貰ってます。
そしてその仲間が良くなろうと努力されているのをみて、私はこのままではいけないと奮起することも出来ました。

サイトをプログラミングしたのは私ですが、このサイトを作っているのは、投稿してくださるかた、コメントを書いてくださる方、見てくださる方そういった人たちが形作っているので、私はきっかけを作ったに過ぎません。

長くなりましたが、みきさんの仰るとおり脇民皆で幸せを享受しましょう!

こちらこそよろしくお願いいたします!
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