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脇見恐怖症のサイト

投稿者:隆志
更新日:2015/04/20 19:36
あなたはどれだけの努力をしてきたでしょうか?
カテゴリ:脇民日記
私たちはどれだけ努力をしてきたでしょうか?

他人から攻撃を受けることは大変つらいことです。
それに対して人は2パターンの行動をとり得ると思います。

他人がそういうのだから、そうなのだろうと改善しようとする努力をするもの。
他人に言われて、それを間に受け止めるも何もせずただ落ち込むもの。度が行き過ぎて周りのせいにする人も。

周りのせいにしないまでも、私は後者を漂っています。

誤解して欲しくないのは、できないことはできないので、やりうることを善処することは可能だと思うのです。

例えば、脇見をしてしまう自分を受け入れ、悪口を言われたのであれば私の特性を周りの者に理解してもらう努力とか。
わき見したとしても、与えられたことはやり遂げるだけの強い精神を鍛えるとか。

逃げることが悪いとは言いません。
ただ、逃げてばかりでは成長しないのも事実。

辛い? 分かります。

その辛さから逃げてばかりいては、相手の信用を得ることはできません。

逃げようと思えばいくらでも逃げることができる。

でも、そこから立ち上がるには、逃げた分だけ労力がかかります。

今苦しいか、後で苦しい目に遭うかのどちらかなのです。

苦労は若いうちにと言いますが、年を取ってから苦労するのは大変辛いものです。
出来ることをコツコツと、我々は前に進むしかないのです。

「見てくる」と言われたとき、すまないという感情が生じるのも分かります。
何が悪いと開き直ることもできます。

でもそこには答えはないと考えるのです。

なぜ自分は見てしまうのか?
それは今まで視線を逸らしてきた私たちの本能。

見てしまうということについての答えは?
自身が見るということに対して、「罪」と考える思考の癖を改める必要があるということ。

見てはいけないのではなく、見てもいいんだとなれば、気持ちは楽になり、次第と抑圧から解放されると思うのです。

ダメと決め付けるのは自分自身、ならば良いと刷り込ませてしまえば楽になると思います。

失敗はつきものです。
いくら表面的に考えても、こころの底から思わなければ。

自分の心に刷り込み続け、そしていつしか、視線で悩んでいたことを忘れる時が来るまで、努力の連続です。

ただ努力のベクトルを間違ってはいけません。
自分に自信をつける為の努力であって、視線をどうこうしようとするとドツボにはまる気がしています。

誇れる習慣はありますか?
人より優れているものを持っていますか?

それには脇見の人達の中でやる方法もありますが、社会で揉まれ、社会人として認められるようになる努力が必要なのだとも思います。

まずは社会人として、自分が必要とされているという充実感を得ること。
その充実感は、人と同じことをしていたのではそれほど大きな成果は得られません。

自分を理解し、だけれども叱咤してくれる対等な友を得ること。

私たちはハンデをハンデと思わせないために、普通の人より何倍も努力しなくてはなりません。

現状に安寧することなく、まずは一歩外の世界に目を向けてみましょう。
コメント:
[1]ヨーゼフ
更新日:2015/04/20 18:52
誇れる週間はありません!笑
誇れる習慣はあります!
[2]隆志
更新日:2015/04/20 19:40
コメントありがとうございます。
誤字直しておきました。
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