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脇見恐怖症のサイト

投稿者:隆志
更新日:2014/09/16 6:43
出不精な私
カテゴリ:脇民日記
子供の頃は外で遊ぶのが大好きだった私。
いつからか家の中でばかり遊ぶようになった私。
どちらも本当の私。

東京に来てから滅法外で遊ぶ機会が少なくなった。
東京に外で遊べる場所が少ないという理由も少なからずありますが、外で遊ぶことが嫌いになった決定的な出来事が、今思えばあったのかもしれない。

キーパンチャーというPCでデータ入力する仕事を学生の頃していた。
そこで仕事をしているうち、周りで違和感を覚えていた。
そして仕事から帰るとき、私にははっきりと聞こえたつもりだった。
「気持ち悪い」
という慈悲なき声。

しかも一回だけではない。
外を歩くと罵倒する声を耳にする機会が増えた。

医師は幻聴だという。
でも私にはくっきりとその声がこころの中に焼きついている。

そんな経験からか、私は家の中ですごすことが多くなった。
外に出ると過度の緊張を強いられるからだ。
周りの人からおかしいと思われているのではないか。
その意識がぬぐえない。

あれから時は流れ、現在35歳。
いつまでもトラウマのようにこころによぎるあの声。

いい加減自分を解放してあげたいが、心の奥底がそれを許さない。
人は怖い存在と烙印を押されているようだ。

勿論、私の周りはいい人たちばかり。
脇見にも理解を示してくれている方も大勢いる。

でもどうしても、「だがしかし……」と文章を続けたくなってしまう。

過去にとらわれることなく今を自由に生きるためには、過去の亡霊と戦わなくてはならない。
一部の人間の発言にとらわれることなく、人を信じるこころを養わなければならない。

ならない。
そう考えている時点で、私はこれから先もそのことが付きまとうのだろう。

過去がそうだったから未来もそうだとは限らないのだから、人は怖いものという意識を取り去るためにも、人を好きになろう。
悪口を言った人たち含め、人を好きになろう。

人を好きになることが、病的な考えを癒してくれると信じて。
コメント:
[1]みき
更新日:2014/09/16 16:06
「だがしかし・・・」と続けたくなるっていうのが私も一緒です。
頭ではわかっていても、心がついていけないと言うか、まだ癒されていないような気がしてなりません。
人のことを信じたいし好きになりたいのに、体(心)は逆の反応を示すというか、
自分の意思ではどうにもコントロールできない部分で、条件反射のように
恐怖が湧き起こってくる感じがしています。
私の深い部分(無意識の領域)では、人のことを信じたらえらい目にあう、とか
気を許したら傷つけられる、とか人と深くかかわると傷ついてしまう、などなどの
思い込みがあるのかもしれない、と思っています。
傷つくのをものすごく怖れているなぁと思います。

傷は必ず癒えますよね。
傷ついた自分に優しくしてあげたいです。
[2]隆志
更新日:2014/09/17 6:48
>みきさん
コメントありがとうございます。
頭で分かっていても、こころがついてこない。
とてもわかります。

ひたすら潜在意識に刷り込むしかないのですかね。

傷つくのを恐れているのも一緒です。
でも傷つくということは、成長するきっかけを与えてくれているような気もします。
傷つくのを回避しようと自分と異なる自分を演じるより、傷ついて、それでも立ち上がれる位の強靭な精神を身につけたほうが有意義かなと。

傷に触れたくはないですが、癒すというか、傷を乗り越えるだけの強い信念を持って成長していけたらなぁと思います。

乗り越えない限り、また同じような傷を受けた時、立ち上がるのに時間がかかりますから。
[3]とみぃ
更新日:2014/09/18 8:05
私も過去の「キモい」「見てくる」等の発言で中々、前に進めません。
みんながみんなそう思ってるとは思いませんが、どうしても過去の事が
頭をよぎってしまいます。

なんかコソコソ話している人を見ると、自分の事じゃないかと思ってしまいます。
胃がキーと痛くなります。

でも、それでも前に進まなくてはいけないのだと最近思います。
[4]しょう
更新日:2014/09/18 8:53
人に対してある種の条件的な反応が無意識にでてきてしまうというのはみなさんと同感です。これまでの経験の中で自ずと培ってきてしまったんでしょうかね。

僕はこれに対しても、「自分を大切にする」ことからはじめることが大事かなあと思うようになってきました。
隆志さんやみきさんが前におっしゃていたように、
自分を大切にすることができないと人を大切にできないでしょうし、
加えて、
自分を大切にできないと、人から自分に対して向けられたやさしさも素直に受け取ることができないんじゃないかと思います。自分にはその資格がないとか、いつかこの関係もおわってしまって傷つくかもしれないとか。僕なんか結構この傾向があるような気がします…。
自分に対してやさしさを向けられるからこそ、人が自分に向けてくれるやさしさを素直に受けいれられるし、そうする中で、人に対して心からのやさしさと信頼を向けることができるようになるのかな、などと感じます。

もっとも、自分を大切に「しなければならない」と考えてしまうと、結局とらわれていることになるんでしょうけどね(笑)

キラクに、肩の力をぬきながら、自分を大切にしていければなあと思います。
[5]隆志
更新日:2014/09/19 6:29
>とみぃさん
なかなかこういう経験をすると疑心暗鬼になりますよね。
私も人がこそこそ話しているのを見ると、悪口を言われているのではないかという関係妄想に陥ることがあります。

でも逃げてばかりでは改善されるどころか悪化するだけなので、とみぃさんが言うように前に進もうと思います。
[6]隆志
更新日:2014/09/19 6:34
>しょうさん
確かに、人から優しくされても素直になれないときが私にはあります。
信頼関係が築けていればそんなことはないのですが、自分に自信がないからなのでしょうね。

自分を甘やかすことはたびたびありますが、大切にすることはなかなか出来ていない状態です。
人から優しくされたら素直にこころから喜べるような自分でありたいです。
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